「ハツ」は、「自分の内面ばっかり見ている」「学校にいる間は、頭の中でずっとひとりでしゃべっている」子。あまり人と話さず、観察した事象の解釈を続けている。作者は、体言止や事実、感覚の描写を繰り返すことで、「ハツ」の内面を描写する。
例えば、冒頭の理科室のシーン。「顕微鏡をがちゃがちゃ動かす音、話し声、楽しげな笑い声。でも私にあるのは紙屑と静寂のみ」。ここまでが事実。その後に続くのは、「(中略)でも人のいる笑い声だけの向こう岸も、またそれはそれで息苦しいのを、私は知っている」。これが彼女の「解釈」であり、「真実」なのだ。
「酸っぱい。濃縮100%の汗を嗅がされたかのように、酸っぱい。嫌悪と同時に、なんともいえない感覚が襲ってくる。プールの水の、塩素のにおい」。にな川の部屋で、裸の少女の体にオリチャンの顔が貼られた奇妙なコラージュを見たとき、プールの着替えのときに密かに感じる「いやらしい気持ち」が突然湧き上がってくるこのシーンも印象的だ。記憶の中からにおいだけが飛び出してくることは、私にもある。記憶の中のにおいがスイッチになって、思考のベクトルが急速に自分の内面に向けられていくあの感覚を、作者はにおいの描写の繰り返しと体言止でうまく表現している。
そして、「緊迫した顎。そして彼のオリチャンを見る目つき。飢えた目つき。伸び上がって彼の耳もとで、あんたのことなんか、オリチャンはちっとも見てないよ、と囁きたくなる」。にな川がオリチャンを見つめる表情の描写を繰り返すことで、「ハツ」がいかににな川を見つめているかを描き、あわせて屈折したにな川への思いも描いてしまう巧みさ。「ハツ」にたっぷり感情移入したあと、ふと、この若い作者のたくらみにまんまと乗せられている自分に気づく。
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