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»第5回テーマ「公募に挑戦!フェリシモ文学賞

『バナナの秋』

谷崎漱一郎

 気がつくと、道端に小菊が咲いていた。季節は秋に変わっていたのだ。新事業の立ち上げで出張がいくつも重なり、報告書の作成や会議、それにたまるばかりの雑用の処理に休日返上で、一息ついたときには、季節からすっかり取り残された自分がいた。
 家のカレンダーを二日遅れでめくると、今度の週末のところに、小さな○、そのすぐ上にバナナのような絵が鉛筆で描かれている。いったい、なんの印だろう。子どもが描いたのだろうか。
 小学一年の子どもにねらいを定めてたずねた。
 「ぼくじゃないよ」と、やってもいない、いたずら描きをとがめられたことに反発するかのように答える。  多忙で早出の出勤がつづいている妻も、
 「バナナねえ。バナナの記念日かな」と、笑い出し、取り合ってくれない。
 そうなると、描いたのは、この私なのだろうか。忙しさに取り紛れて、描いたこと自体を忘れてしまったのかもしれない。○とバナナがいったい何の意味なのか、それを知る手がかりすらない。○とバナナ、○とバナナ、何度、自問してみても、頭に浮かんでくるものはない。
 ○はともかく、バナナをどうしようというんだ。バナナがらみのスケジュールを立てることはありえない。もし、それが大事な予定だったなら、絵ではなく文字で書いておくはずだ。きっと、なにかの思いつきか、どうでもよい些細なことなのだ、と思うようにした。
 でも、気になる。だれかと約束があったのだろうか。そうだとすれば、迷惑をかけてしまう。「なんで来ないんだ」と怒るだろうな。
 可能性のありそうな人間にそれとなく聞いてみるか。もちろん、「○とバナナのことで、スケジュールを確認したくて電話しました」なんて聞けるわけがない。「週末にごいっしょする予定はありましたか」と聞くのもへんだ。きっとどうでもいいことだよ。○とバナナだから、たいしたことじゃない。こうして、また元にもどる。
 それでも、他人から電話が入ると、世間話を装って、
 「すっかり秋ですけど、週末は……」と聞いてみる。
 「久しぶりに家でのんびりしようと思いますよ」と言われると、
 「それが一番ですね」と意味のない相槌を打ちながら、わざわざ聞くまでもなかった、と後悔して落胆する。
 会社の帰りにスーパーに立ち寄って、バナナの売り場の前に立ってみた。黄色いバナナの集団とじっくり対面したけれど、バナナは何も教えてくれなかった。
 一日、また一日が過ぎていく。とうとう週末が来てしまった。
 「今日はバナナの日よ」と、朝一番に妻が笑いをこらえるようにして不吉な言葉を投げてきた。
 抜けるような秋晴れにもかかわらず、どこにも出かけないで、家でかたづけものをして過ごすことにした。秋晴れがうらめしい、と思う自分がみじめだ。
 「なんで家にいるんだ。すぐに来いよ」と、怒りの電話が入るかもしれない。そんなときは、即座に飛び出していけるように外出着と靴を出しておいた。こうまでして、やるべきことはやっているのだから、もう、よしとしなくてはと、自分自身に言い聞かせて、ささやかな気休めとした。
 かたづけを始めてみたが、はかどらない。いまやる必要があってのことではないからだ。ひきだしに押し込んでいた古い手帳の束を手に取ったときに、ひょっとしたら、と思った。去年の手帳を取り出して、いまと同じ月の最初の週末のところを開けてみた。そこには○やバナナはなかったが、小さな文字が書かれていた。体の緊張が一瞬にしてほぐれ、手帳を持ったままソファの上に腰を落とした。
 「タネまき」と書いてあった。カレンダーの小さな○は野菜のタネ、そしてバナナは、タネをまく手だったのだ。さっとながめただけでもわかるようにと絵にしたのだろうか。
 さっそく妻と連れ立ってホームセンターにタネを買いにいく。妻は小松菜や春菊、大根のタネをさっさと選んで、カゴに入れる。もうそれで十分だ。庭につくった家庭菜園にまくのだから。
 午後は久々に土を相手に時を過ごす。秋になったとはいえ、畑仕事で体を動かしていると、汗がでてくる。タネまきの途中で手を休め、その手をあらためてながめた。
 これがバナナだって。それにしても、あの絵はほんとうに私が描いたのだろうか。
 腰と背筋をゆっくり伸ばして高い空を仰ぐと、秋の空気が体の奥まで入ってきた。
感想
忘れ物がドラマになる

時期なら傘、寒くなればマフラー。忘れ物でおたおたし、情けない思いをする。物だけでなく、情報の忘れ物もある。カレンダーやスケジュール表に印だけがついている。何のマークだったのかな。だれかと会う約束だったのではないかと思えば、心やすらかではなくなる。後になって、招待券の応募の締切日など、些事であると判明することが多いのだが、あれこれ考えだすと切りがない。
 これらをテーマに文章を書けば、ちょっとしたドラマとなる。私の前につぎつぎとテーマが現れるので、「受賞」を機に文章の量産を迫られたとしても困ることはまったくない。

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