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『彼氏の条件』

吉沢翠

「ただいま〜。」
・・・馬鹿みたい。本当に呆れてしまう。返事が返ってこないことがわかっているのに、毎晩毎晩、同じことを繰り返している、私。
あの子はもう、ここにはいないんだ。「ただいま」を言うたびに、この現実を突きつけられる。それだけだ。どうしようもなく、空しい、寂しい、苦しい、悲しい、痛い。
暗がりの玄関にしゃがみこんで、私は泣く。どうしようもないってわかっているけれど、私は泣く。そんな夜がいくつも過ぎていった。

 『どうしてる? いつまでも泣いてたら、あの子が悲しむよ。元気出して。』
そんなメールが届いた数日後、朋子が私の家に突然やってきた。
「ちょっとぉ。これが年頃の女の子の部屋? ちょっとひどすぎない?」
部屋に入るなり、朋子は笑いながら言った。確かに我ながらひどいと思う。あの子のいない日々は、私の気持ちだけでなく生活まで荒らした。汚れた食器はシンクに積み上げっぱなし、洋服は床に脱ぎっ放し。ゴミもそこら中に散らかったままだ。
 「最悪だね。こんなところにいたら、元気になれるモンもなれないって。はい、掃除するよっ。」
いつも通り口は悪いけど、彼女なりに私を励まそうとしている。そんな朋子の気持ちがありがたかった。
「あんたはまず食器洗って。私は雑誌まとめるからさ。」
「・・・わかった。」
「そうそう、その調子。元気出てきたじゃん。」
朋子は笑ってぽんと私の肩を叩くと、散らばっていた雑誌を、てきぱきと積み上げ始めた。

 掃除・・・かぁ。ふと、不安になる。
もし万が一、ゴミや服の間からあの子の何かがひょっこり出てきちゃったらどうしよう。
落ち着け、自分。あの子のモノは、あの日に全部捨てたはずよね。だから、この部屋をキレイにしても、何も出てくるはずはないじゃない。うん、そうだ。絶対そうだ。大丈夫。そう自分に言い聞かせると、なんとなく気持ちが軽くなった。汚れと一緒に、ウジウジ気分も洗い流せるかもしれない。私は食器洗いに取り掛かった。

「あーあ、すごいことになってるよ。ちょっと来てごらんよ。」
家具の拭き掃除を始めた朋子が、大声で私を呼ぶ。手を止めて振り返ると、朋子は呆れ顔でテレビを指差していた。わっ、なにコレ。全然気がついていなかったけれど、上にも横にも画面にも、白いホコリがうっすらと付着している。全身にホコリをまとった二五型テレビは、恥ずかしいほど汚かった。
 「テレビは静電気があるから、ホコリがつきやすいんだって。しょうがないよ。」
「それは言い訳。こまめに掃除してたらつかないの。あんたはどうだったのよっ。」
二人で顔を見合わせて、思わず吹き出す。そして大笑いした。こんなに笑うの、久しぶり。考えてみたら、私、あれからずっと笑っていなかったんだな。そう思いながら何気なく目を移したとき・・・。
どきん!
・・・見つけちゃった。どうしよう。私は思わず知らず、朋子の手首をきつく掴んでいた。
「イタタ。ちょっと何よ。・・・泣いてるの?」

 まるで、あの子の忘れ物みたいだ。
あの子の手型が二つ、テレビ画面のホコリの上にうっすらと押されていた。それは、小さな梅の花みたいに見えた。
 テレビの上がお気に入りだったよね。あったかいから、そして、私が部屋のどこにいても、よく見えるから。呼ぶと必ず、にゃあ、って返事をしたよね。そしてテレビから降りてくるのね。まず画面に手をついて、それからピョン、って。
梅の花の手型が起爆剤になって、封じ込めていたあの子の記憶が、どんどんあふれ出してくる。緑の瞳、フリフリ長い尻尾、温かくて湿っぽいお腹、柔らかな毛並み、甘える声、そして掌のピンク色の肉球、その感触まで。
すごく、すごく、すごく嬉しい。なのに、どうしてこんなに涙が出るんだろう。
 私は朋子の手首を掴んだまま、涙でぼやけたテレビの画面を、ずっと見つめ続けていた。

「ここ、私、拭く。」
やがて、洟をすすりながら私が言うと、朋子は、そう、と言った。そして、それっきり何も言わなかった。
 泣くの、これで最後にするね。
涙はまだ止まらないけど、笑ってみた。そして雑巾でゴシゴシ、テレビの画面を拭く。
さよなら。そして、本当にありがとね。 

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