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»第6回テーマ「書評」

「べてるの家」から吹く風   向谷地生良著 いのちのことば社

吉沢翠

 この本全体にただよう、この何ともいえないおかしさはなんなのだろう?
 そんな疑問を感じさせるほど、一言では言い表せない魅力に満ちた本だ。
決して明るい内容の本ではない。描かれているのは、「関係の障害」とも言われる精神障害を抱える人々だ。既存の精神医療において、医師に薬漬けにされ、管理され、社会から疎外されてきた彼らが、著者が運営する「べてるの家」に集うことにより、自分で自分を助ける方法を学んでいく。その悪戦苦闘の日々が、精神科専属のソーシャルワーカーであり、クリスチャンでもある著者の目を通し、描かれていく。普通に考えたらとても笑える内容ではない。
なのになぜかおかしいのは、著者のまなざしのありかたのおかげであろう。
たとえば、統合失調症という病を抱え、日々幻聴に悩まされ、「爆発」(家族や物に対する暴力・破壊行為)を繰り返す男性に彼は言う。「ものすごくセンスがいい」「生きることにかかわった人間のいい“もがき”を感じる」。
また、同じ統合失調症で、「朝起きたら、体の右半分が小泉首相に会いに東京へ行ってしまった。つれて帰ってきて」と言う女性に、「歩くのは差し支えないの。それと、右半分は、飛行機代は半額?」と切り返す。
ここから感じられるのは、「彼ら」と「私たち」との感覚のズレだ。
「彼ら」とは単に、障害を抱える人たちのみを指すのではない。ソーシャルワーカーである著者もまた「彼ら」の一員であり、「あっち側」の人間なのだ。であるから、既存の医療現場であれば、治療すべき病気として憂慮される出来事も、深刻な意味を剥奪され、ありのままの姿をさらしている。そのありのままが、妙におかしいのだ。
著者はP・ティリッヒの「人を愛するという営みは、困難に陥っている人を『引き上げる業』としてあるのではなく、その中に『降りていく業』として現されなければならない」という言葉を引いている。相手のすべてを受け入れ、その場所まで自分が「降りていく」やり方。彼が降りた場所は、「安心して絶望できる」場所であり、あきらめの場所であり、もう笑うしかない場所である。「私たち」が笑ったら不謹慎だと思われるような状況を、彼らは笑うことによってやり過ごしていく。そこにしなやかさがあり希望がある。意味は変換できるという希望が。 この本は精神障害を抱える人々についての本だ。しかし、彼らのコミュニケーションの在り方、自己や他者との向きあい方は、障害のない私たちにも十分通用する。彼らのやり方で生きていけたら、もっとおおらかな生き方ができる気がする。
人とのかかわりに息苦しさを感じている人に、ぜひ読んでもらいたい一冊である。

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