近頃、闘病記がよく読まれていて、専門のオンライン古書店もある。
この本は骨髄移植が必要な難病と向き合うなかから生まれた。だからといって、闘病の記録をまとめたものではない。
難病とわかったときから
退職、入院、友だちの死、未来のない恋、刹那ごとに入れかわる希望と絶望。
死というフィルターを通して見る世界は、残酷なまでにあざやかで、
生きながらにして天国を、別世界を体験しているようだった。
という日々がつづく。
このまま死ぬのを待つのもいやだけど、移植をするのはもっといやだ。あんなこと絶 対に自分には耐えられない、と思う。そこまでして生きたいという情熱もない
と思うようにもなる。こうしたなかで、
私は見られるために生きてるんじゃない。
見るために、生まれたんだ。
と書く著者は、自分に、そして友人や家族をはじめとする人々に、あるいはまわりの物にしっかりとまなざしを向け、思いを馳せる。そのなかで自分の思いを人に伝える方法として選んだのが詩だった。そして、
ひとの善意にすがって
ひとのからだに傷つけてまでも
生きたいと思った
ふるえがはしったのは
こわかったからじゃない
嘘っぽく聞こえるかもしれないけど
ジェットコースターのてっぺんで
うねる下り坂を見下ろしたときみたいに
体の芯がぞくぞくして
血が
たぎったんだよ
こういう気持ちになったのは「キミが子どものように声をあげて哭いてくれた」ときからだった。深い絶望が希望へと変わるときの気持ちの高まりが詩となり、飾りのない素直な表現が心を打つ。
本のページをめくるに従って、人生を見つめ、そこから生みだされてきた詩による心の旅が展開していく。
(谷崎記)
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