詩とはいえ、いわゆる“闘病モノ”をここまでさらりと読ませることは難しい。
若さにあふれるひとりのOLが、骨髄移植をしなければ生きられないという現実にであう。健康診断の結果を直視できなかったこと、お父さんお母さんとのぎこちない会話、医師への恋ごころ、生きている人と死んでいく人との間での葛藤、生きるということへの問いなどなど、闘病のなかで感じたことを、詩と日記というかたちで書き連ねる。
なぜ、さらりと読ませるのだろうか。
それは、このような体験記を書くために、必要なことのひとつである“正直さ”があるからだろう。その“正直さ”とは、他者に対するモノだけではなく、自分自身に対するモノでもある。それがまさに闘病なのだと感じさせてくれる。
そして、その“正直な”気持ち−つまり自己−は、決して弱すぎることもなく強すぎることもない。弱すぎることがないから安心してページをめくることができ、強すぎることがないから共感できるのだ。
さらには、この詩にはかわいさすら伴う。
“あんまり薬がおおいので
しかもあんまりカラフルなので
ジャムの空きびんに
つめてみた
ちょっとはあまく
なるかしら”
“なにがあってもやっぱりオンナ
最後の最後まで
カワイイ
をあきらめないのさ”
ゆうすけこ。
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